カゲロウ日記

日々の徒然。

スミスとヨーロッパで出会った話

“スミス”。ありきたりなバンド名を持ちながら、最もひねくれたバンドグループ。英国マンチェスターで誕生し1982年―1987年の約6年間活動した。彼らは1980年代のサッチャー時代の英国の不安定さから生まれた、いわばアウトサイダーだった。当時の英国は、労働党と保守党という二大政党制をとっており、上流階級が支持する保守党の指導者サッチャーが打ち出す新自由主義の「弱肉強食の時代」であり、政府の介入を軽減して市場にまかせる政策をとっていた。電話会社、ガス会社の民営化が一つの例である。また、税制度の簡素化により企業と上流階級に有利な税制度が導入され、貧富の差は高まるばかりで、街は、失業者と、酒やドラッグにおぼれる若者であふれた。そんな中誕生したのが、ニュー・ロマンティシズムを始めとする、多様化した音楽。その多様化の中で、スミスは「脱」ロック的ロックの新ジャンルを開拓していった。主流(ロック)に対するアンチとして、女性的スタイルと、労働者階級のための音楽を作り、現在のオルタナ系バンドの先駆者とされる。「カッコいいのはカッコ悪く、カッコ悪いがカッコいい」という、ロック美学の反転を狙った世界観に私は虜になった。

スミスの魅力、それは「アンバランスの持つ魅力」この一言につきると思う。ジョニー・マーのキャッチ―でポップなギターに乗せて、モリッシーの中性的なボーカルが心地よく、時には寂しげに重なる。そこにアンディ・ルークのうねりまくるベースがスパイスとなっている。がなりたてることも、無駄にシャウトすることもなく、彼は淡々と問いかけるように、暗い歌詞を歌う。そのアンバランスさが、スミスをスミスたらしめているのかもしれない。また、歌詞のambiguity(曖昧さ)も彼らの特徴である。彼らのアルバム『The Queen Is Dead』の4曲目“Never Had No One Ever”では、歌詞が数行しかなく、「僕は悪い夢を見ていた 20年7カ月27日続いたのだ」と始まるのだが、聞き手は何のことだかわからない。それを政治と関連づけてもよし、モリッシー自身の話と考えてもよし、聞き手が自分の想像に任せて、時に自分の人生に沿った歌詞解釈ができる所も、多くの社会の敗北者から支持された理由であっただろう。スミスの影響を受けている(と私が感じる)邦楽グループは、スピッツ(特に初期)。草食系の先駆者であるボーカル草野マサムネの甘い声と、ポップなサウンドのせいで、あまり知らない人からは、爽やかロックと言われてしまう。しかし「五千光年の夢を見たいな 後ろ向きのままで」と初期の歌詞は心配になるほど暗く、死や性が暗喩的なテーマになることが多い。そして、歌詞は、ストーリー性に溢れている。スミスとスピッツに共通することは、優しいロックスターという点であり、そのアンバランスさが孤高の個性となっているのである。スミスの歌は、古今問わず若者の心を引きつけてやまない。

私が彼らの歌と本当の意味で出会ったのは、ルーマニア人の友人とヨーロッパでバックパッカーをしていた時だった。バックパッカーが、どこの国に行ってもまずする事といえば、その日の宿探しである。イタリアのベニスで安宿を探して歩きに歩いていた時、ふと古びた二階建ての建物に目をやった。一階のベランダには、様々な色のタオルが、二階の窓からはタバコを吸う若者たちと賑やかな笑い声。そして、窓から流れてきたのが、『The Queen Is Dead』の9曲目に収録されている、”There Is a Light that Never Goes Out”(消えることのない光)だった。

今夜私を連れ出して 

音楽と人であふれている所へ 

若くてエネルギーに満ちた人たちのいる所へ

あなたの車に揺られて 

家にはどうしても帰りたくないの

スミスだ、と思った。「スミスが生きている」とも思った。日本で聞いていた時は、聞いたことはあったがBGMとして聞き流すという方が正しかった。それが、今、はっきりとしたスミスというアイデンティティを持って、耳に入ってきたのだ。

思わず深緑色のドアをたたくと、大家さんがここは若者向けの安宿(いわゆるホステル)であるということを述べたため、友人と転がりこんだ。このホステルには一応「ベニスの魚」という名があった。ベニスフィッシュ。その名の通り、この宿は名もない魚のようにひっそりと(何しろ看板もかかってなかったのだ)、しかし一定の存在感を持って立っていた。それが、スミスのイメージとぴったり重なった。私はそのホステル生活の中で、色んなスミスに出会った。朝の光と共に流れる爽やかなスミス。若者による若者のための夜の宴が盛り上がった後の、ボトルが散乱する中の少し寂しいスミス----。こんなに彼らの音楽が宿に合うのは、旅人たちも一時的なアウトサイダーであり、スミスが衰退するマンチェスターで鬱屈した気持ちを抱きながらつづった詩と重なる部分があるからであろうか。

誰にでも、これを聞くと胸騒ぎがするという曲があると思う。スミスは、そんな魔力を持っている。ホステルにこもるマリファナの匂いと、安いサングリアのボトル、そして満月のイタリアの夜。余分なエネルギーを抱いて闇に駆け出し、お金のない私達は、夜中までベニスの河に足だけを浸して語り合う。自由なベニスフィッシュ。-------------スミスを聞くと今でも旅に出たくなる。モリッシーのけだるい声が、あのホステルで呼んでいるような気がするのだ。