カゲロウ日記

日々の徒然。

青い鳥と孤独な土曜日

スピッツとの出会いは、大学を辞めて再受験のために半年ニート生活を送っていたときのことだ。地元の図書館のCDコーナーにあったものを手当たり次第借りていて、『名前をつけてやる』というアルバムタイトルに惹かれて手にとったのが始まりだった。当時、楽しさを誰かと共有するための音楽ではなく、孤独を深めるような個人的な音楽が好きだった。散歩や移動時あるいは寝る前などには自然にプレーヤーのスイッチをいれ、歩いている景色や個人的な感情に気の向くまま重ね合わせているような聴き方をするのにスピッツはぴったりだったのだ。

音楽は聞くぞ、という意志を持ち時間を限定して聞く人がいることに気付いたのは、友人の家に行ったときだ。友人は浜崎あゆみと倖田來未が好きだった。私は浜崎あゆみと倖田來未はさほど好きな部類ではないが、その友人のことは好きだったので特段気に留めなかった。友人はテレビの前の床に座りこみ1000円で購入したという中国製のプレーヤーと携帯をつなげ、浜崎あゆみのライブ音源を入れて、大爆音で流し始めた。あゆの「いくぞぁぇえぇえぇぇい!」の声に、ソファで本を読んでいた私は若干びくっと肩をふるわせた。友人はあゆの歌に合わせて踊ったり歌ったりしながら器用に料理を作っていた。友人はたまに私にも参戦するように要求したので、私は本を片手に、空いた方の手で近くにあったタオルを振り回した。明るく疾走感に満ちた曲が5曲くらい続いたのち、満足した様子の友人はやっぱりあゆはいいなぁとか言いながら曲の途中で電源を切ったのだった。突然訪れる無音。私はいろんな音楽の聴き方があるものだと感心した。一方で、一緒に長時間タクシーに乗っているときに私がゆるい音楽を小さな音でずっと流していると、友人は「車の中は寝たいから音楽は必要ない」、と穏やかながら明確な苦情を私に申し入れた。

さらにその友人は、暗い音楽や映画は意識的にインプットしないというポリシーがあった。特に暗い音楽は反発をくらった。「インプットをしたものに人の感情は多大なる影響を受けるので、わざわざ暗くなるようなものに触れる必要はない」という持論で、友人が好んで触れるジャンルは、仁義なき戦いものか、底なしに明るいもの、あるいは紙兎ロぺのような脱力系。以前、レ・ミゼラブルの舞台を見ようと誘うと同様の理由で却下されたことがある。

音楽についてはどんなに気が合う人でも語り合うほどその人が遠くなったりする。人生は結局一人だと感じるのと近い。それがたのしい。

その友人とある日一緒に船に乗ったとき、あゆのBlue Birdを歌った。事前に自宅練習していたので私もサビは歌えた。楽しい歌はいいね、と笑う友人の屈託のなさは気持ちが良くて、私も笑ってそしてふわっと寂しくなった。