カゲロウ日記

日々の徒然。

アラブ人と優雅な朝食

人種のるつぼ、という言葉がこれほどしっくりくる国も珍しい。忘年会の景品で無料宿泊券を頂き、先週ドバイのある5つ星ホテルに宿泊することになった。

朝食の席はビジネスマンやヴァケーションに来た家族らであふれ、”としまえん”になるかならないかの瀬戸際を、木のオブジェやすりガラスごしに高い天井から降り注ぐ優しい日光といったディテールがカバーしていた。朝食はその人の日常、生活習慣、生活レベルまで想像できるので、つい他人が何を選択的に皿の上に載せているかを(特にビュッフェ形式の場合)見てしまう。席につくまでに、あくまでヒールで歩きながら横目でさりげなく。

インド人はカレーとバスマティライス、そしてラム肉を1皿目からこれでもかと山盛りに載せる。私の推察ではインド人であれば金持ち如何にかかわらずこの傾向がみられるので、カレーに反応する遺伝子が染みついているのではないかと思ってしまう。だいたい大家族単位で席に着き、かあちゃん、といった感じの奥様が暴れたりする子供をいなしたりしている。

欧米人(おそらく駐在中の銀行員、弁護士あたりだろう)はグルテンフリー、オーガニック系の食材を中心にバランスよくとっている。そして新聞や携帯を片手に朝から最新情報のチェックに余念がない。あるいは、美女の奥様を横に、そして優秀な頭脳と容姿端麗の遺伝子の恩恵を受けまくった天使のような息子/娘に対しスマートにジョークをとばしている。

私たち日本人はつい、オイスターやロブスター、寿司を選び、原価で元をとろうという作戦に走ってしまう。一度、うちの駐在員とナショナルスタッフ(主にインド人)でボスのおごりでブランチ会を開催したことがあったが、インド人がカレーやパン、麺類ばかり食べようとするので、ボスが「原価を考えろ!炭水化物禁止!」と半分冗談で怒っていたことを思い出して苦笑する。彼らにとってはただお腹いっぱい炭水化物を詰め込むのが幸せなのだろうに、私たち中流階級はつい資本主義の物差しでしか物事を見れなくなっているのがおもしろい。

例外として大皿に大量のコーンだけが載っている席があり目を疑ったが、韓国人のバトミントンプロ選手だったようだ。職業までも朝食の皿には現れる。

話が少し脱線したが、私が中東で大好きな光景の一つがアラブ人の朝食の様子だ。様々な人種がバタバタとしている朝の喧騒の中、白いカンドゥーラを身に着けたアラブ人男性がひとり、何もせずに外の景色を眺めている。テーブルにはカプチーノとカットフルーツのみ。その優雅な光景に神がかったものを感じる。

ひとりで席に座り、何もせずにいられる、ということを自然に行うことは実はとても難しい。例えばラーメン屋なりに一人で入ったとき、注文した後はついポケットから携帯を取り出しツイッターやSNSをそれとなしに見てしまう。公共の場でぼんやりする、という行為に居心地の悪さを感じるのは、常に「見られている」感覚、それは日本の人口密度の高さや性質上(1億人総監視社会)のものかもしれない。

アラブ人の優雅さは、例えばスティーブジョブズが着るユニクロの無地のタートルネックのような、モデルが着るシンプルな下着にシルクのワンピースのような、才能や生まれや容姿といったものが超越した人だけが持つ余裕さと似ている。ふと横をみると鏡に両手にオイスターを持った自分がうつり、苦笑いしてしまった。

 ※人種別の推察はあくまで個人の推察です。