パニック障害のあなた
ドバイは鬱病が多いらしい。診察室には真面目そうな欧米系サラリーマンたちが待機しており、私は鬱病になった友人を見送った。中東の猛暑が和らぎ、ペルシャ湾から流れてくる海風が心地よい良く晴れた秋の日だった。彼は私が知る限り強靭な性質で(ノルウェイの森の永沢さんを実写化するなら彼だと勝手に思っていた)、だから彼が鬱の発作に陥ったことは意外だった。
診察は問答形式で行われ、思考の癖から鬱の原因を探り、その癖を改めていくという治療法であるようだった。
友人「僕は全ての状況はコントロールできると考えている。」
フランス人精神科医「それは鬱になりやすい人の典型的な考え方だよ。君は完璧主義であまりにもすべてを背負いすぎている。特に親しい人の前でスーパーマンであろうとする性質があるようだ。社会で生きていると個の力でコントロールできない事態は山ほどある。時にはgive up & acceptも必要だ。
とにかく手の届く範囲でやればいいんだ。手を伸ばせば世界の全市民になってしまうからね、きりがないんだよ。」
私は野外ライブで聞いたスカイハイという歌を思い出す。
僕は描いていく 空に描いていく
描き進んでいく 描きまくっていく
君に見えるよう 君に届くよう
僕の翼 手と手の長さ
(『スカイハイ』奥田民生)
この歌を聴いたとき私は22歳で、アメリカ留学帰りで隣りに彼氏もいて、こわいものなんてないと信じていた時代だったから、空気を吸いながら青い空を見上げてどこまでもいけるような、自由な気分になったことを覚えている。アコギ一本で、民生のまっすぐな声と言葉が突き刺さってきた。
理想や野望を描きまくって、自分の翼と手と手の長さは経験と共に広がっていって、気づかない内に心の早まりに現実が追い付かなくなったとき、現実ではポキッと折れるのだということに気付く。
一方で外部環境の不確実性に疲れ果ててgive up & acceptしすぎた柳のような人も会社にはたくさんいる。下へ逃げても、そこにはまた別のレベルのしがらみが根を生やしているのだから、それはそれで苦しい気がする。