カゲロウ日記

日々の徒然。

さよなら、フリーダム

妊娠8週で流産した。先日結婚した小学校からの親友からLINEがきた。声が聞きたい、と書いてあった。

何と言っていいのか、いやむしろ何と言ってはいけないのか。

分からなくて携帯で「友達 流産 かける言葉」なんて検索する、自分が嫌になる。こんな時まで、自分で判断して自分の言葉で伝えられないのだろうか私は。一番始めの書き込みには、「子供またすぐできるよ」とか根拠のない励ましは言ってはいけない、と出てきた。当たり前だ。真顔で画面をスクロールする。何と言っていいのか、、」と動転している気持ちを正直に吐露した上で、味方でいるということを伝える。これだ。

慌てて会社のトイレに駆け込み、震える手でメールを打った。かなり辿々しいがこれ位の方が思いは伝わるだろう、そんな一秒単位の自分の計算にも嫌になる。

席に戻ると、社内メールで、駐在地が一緒だった同期から連絡が入った。

「妊娠したので帰国します!」


ーーその日は胸がざわついて仕事にならず、直帰した。電車内を見渡す。携帯に夢中な女性も、端の席で憔悴して寝ている女性も、窓際で広告を眺めている女性も、きっと誰にも言えない傷みや悩みがあるんだなあ、と思う。

 

女性の、特に20代の2年間は早い。2年前、上京してきた小学校の親友とは仕事帰りに表参道でアイスを食べたり、駐在中の同期とは、優雅にビーチ沿いで1万円もするブランチを食べたりしていた。大学時代の友達とは、卒業旅行でタイへ貧乏旅行して、安宿ででかい蚊にワーキャーし、「次は社会人になって稼いで、2万円位する高級なホテルに絶対泊まろうね!」って約束したりしたけど、その後彼女は妊娠してすっかり母となり、あれが彼女との最後の独身旅行となった。すでに懐かしい。若かったと感じる。一瞬たりとも同じ時間はなく、似たような境遇で共感し合える時間も短い。「切ない」の定義は、「永遠とも感じられる一瞬が実は永遠でないと気づいた時の感情」と聞いたことがあるが、正にその感情が時折追いかけてくる。

 

「電話いけるよ」、と部屋に着く10秒前に流産した親友に送ったら、その13分後に電話がきた。聞いた声は、思ったより落ち着いていた。いつもの声より幼くて、冷静で、頼りなく出された声が、私の部屋に浮かんだ。子宮から掻き出す、とか、普段耳にしない単語が沢山出てきた。私は寝転がって天井を見上げたり、目を瞑ったり、ソファに前のめりになったりしながら、情けない相槌を打っていた。最後に、会いに行くよ、と言ったけど、「会える顔じゃないから、声が聞けるだけで十分だよ、ありがとう。」という言葉を聞いた。

 

予想以上に騒々しく20代が終わろうとしている。自分の結婚式の招待状を書きながら、友人の余興の打ち合わせに励み、友人のお腹に命が生まれ、消え、周りの環境が怒涛のように変化しながら、実家の親は急激に(と感じる)老いていく。

蒼井優は、20代後半に漠然と訪れる焦燥感を「第二思春期」と名付けた。

何をしていても焦る。何もしないともっと焦る。

蒼井優は無駄に家で観葉植物を育てたりしたそうだ。わかる、わかるぞ蒼井優(誰)。

さて、私たちは何をしよう。藻搔いたり逆らったり流されたりしながら、きっと振り返ると愛おしくて、切ない。

浅草さんぽ

浅草の神谷バーで19時、スニーカーに履き替えて集合ね、と友人は言った。

最近散歩にはまっている。

待ち合わせた神谷バーは、変わらぬ出で立ちでそこに存在した。明治13年創業、浅草一丁目一番地。明治時代に誕生したブランデーベースのカクテル、電気ブランで有名なバーだ。当時珍しかった電気は、”電気◯◯”というかたちで目新しいものに付けられていたようだ。

「電気ブラン、電気ブランサワー、電気ブランカクテル。」メニューの上から3つを注文する。電気ブランは甘みがあって飲みやすいけれど、30度と強く、飲み過ぎるとキケンなお酒。私は電気ブランサワーが一番好きだ。甘さに程良くレモンの酸味がきいて、さっぱりした舌触り。何もお腹に入れていなかったのですぐ首のあたりが真っ赤になった。

隣で大学教授らしいおじさんが、生徒と思しき3人に説教している。「おまえは人のことが見えていないんだ」、うんざりしてきたので20分ほどで店を出る。

「人のことが見えていないとでかい声で説教してるやつが一番人のこと見えてないな!」と友人は笑う。「 20年後、ああはなりたくないな」

 

仲見世通り商店街をどんどん歩き、浅草寺についた。

浅草寺では今年の初詣で揃いも揃って凶を引いたので、前を通るだけで立ち寄るのはやめた。「あのときは神田明神と浅草寺、欲張ってどちらも参詣したのが良くなかった」と友人は力説する。

神田明神は平将門の身体を祀る神社で、神田は(将門の)”身体”が由来という説もある。かつて神田明神は現在の御茶ノ水に位置する神田山山頂にあったが、江戸湾埋め立ての為に切り崩されると、山麓の現在地に移転した。

(ちなみに将門の首は現在、大手町のビル街の一角、三井物産オフィス隣の”首塚”にある。平将門の乱を起こし敗死した彼の首は京から故郷である東京へ持ち去られた為、仕事で僻地へ飛ばされたサラリーマンがお参りすると本社へ戻れるという噂もある。ちなみに首塚には、大きなガマガエルの石像が祀られている。「無事にカエル」という駄洒落のようだ。)

一方で、浅草寺は東京都最古の寺で江戸の都市構想の一環で結界を張ったとされることで、神田明神と相性が悪いという説があるのだとか。

 

そんな話をしながら仲見世通りを左折し、花やしき通りまできた。花やしきは入場料1000円で入れるが、貸切客のきゃあきゃあいう声が聞こえて入れない。近くには外国人バックパッカーが集うSakura hostelがあり、若者たちがカクテル片手に雑談をしたり、PCで作業をしていたりと、オープンな雰囲気だ。

アフリカ系の女性が花やしきの正面でポーズを決め、恋人と思われる男性がカメラを向けている。私たちが遮らないように立ち止まると、男性は「go ahead!」と言った。友人は通りすがりにおどけてカメラに向かってピースサインをし、カップルは嬉しそうに笑った。きっと陽気な日本人は珍しかったのだろう、友人はこの恋人たちの旅の思い出に貢献したのだった。「Such a funny sneaker!(超面白いモグリが写真に撮れたわ)」という声を後ろに聞きながら、sneaker with sneakers(スニーカーを履いたモグリ)だな、と笑った。

英語のスペル違いの話題で、神田に「crap dive shop」があるという話になった。そのダイビングショップのオーナーは、楽しいイメージで拍手喝采(clap)という意味合いでつけたつもりだったが、スペルミスでクソ(crap)ダイブショップとなってしまった。そんな小さなエピソードが集まって東京を作っていると思うと可笑しかった。

 

ロック座では、お笑い芸人のショーが始まろうとしている。ロック座は元はストリップ劇場で、ビートたけしが前座していたこともあったとか。そんなこんなで2時間ほどの長い散歩となった。何だか楽しくて、浅草から上野まで歩いて帰ったら、へとへと。

 

 

青い鳥と孤独な土曜日

スピッツとの出会いは、大学を辞めて再受験のために半年ニート生活を送っていたときのことだ。地元の図書館のCDコーナーにあったものを手当たり次第借りていて、『名前をつけてやる』というアルバムタイトルに惹かれて手にとったのが始まりだった。当時、楽しさを誰かと共有するための音楽ではなく、孤独を深めるような個人的な音楽が好きだった。散歩や移動時あるいは寝る前などには自然にプレーヤーのスイッチをいれ、歩いている景色や個人的な感情に気の向くまま重ね合わせているような聴き方をするのにスピッツはぴったりだったのだ。

音楽は聞くぞ、という意志を持ち時間を限定して聞く人がいることに気付いたのは、友人の家に行ったときだ。友人は浜崎あゆみと倖田來未が好きだった。私は浜崎あゆみと倖田來未はさほど好きな部類ではないが、その友人のことは好きだったので特段気に留めなかった。友人はテレビの前の床に座りこみ1000円で購入したという中国製のプレーヤーと携帯をつなげ、浜崎あゆみのライブ音源を入れて、大爆音で流し始めた。あゆの「いくぞぁぇえぇえぇぇい!」の声に、ソファで本を読んでいた私は若干びくっと肩をふるわせた。友人はあゆの歌に合わせて踊ったり歌ったりしながら器用に料理を作っていた。友人はたまに私にも参戦するように要求したので、私は本を片手に、空いた方の手で近くにあったタオルを振り回した。明るく疾走感に満ちた曲が5曲くらい続いたのち、満足した様子の友人はやっぱりあゆはいいなぁとか言いながら曲の途中で電源を切ったのだった。突然訪れる無音。私はいろんな音楽の聴き方があるものだと感心した。一方で、一緒に長時間タクシーに乗っているときに私がゆるい音楽を小さな音でずっと流していると、友人は「車の中は寝たいから音楽は必要ない」、と穏やかながら明確な苦情を私に申し入れた。

さらにその友人は、暗い音楽や映画は意識的にインプットしないというポリシーがあった。特に暗い音楽は反発をくらった。「インプットをしたものに人の感情は多大なる影響を受けるので、わざわざ暗くなるようなものに触れる必要はない」という持論で、友人が好んで触れるジャンルは、仁義なき戦いものか、底なしに明るいもの、あるいは紙兎ロぺのような脱力系。以前、レ・ミゼラブルの舞台を見ようと誘うと同様の理由で却下されたことがある。

音楽についてはどんなに気が合う人でも語り合うほどその人が遠くなったりする。人生は結局一人だと感じるのと近い。それがたのしい。

その友人とある日一緒に船に乗ったとき、あゆのBlue Birdを歌った。事前に自宅練習していたので私もサビは歌えた。楽しい歌はいいね、と笑う友人の屈託のなさは気持ちが良くて、私も笑ってそしてふわっと寂しくなった。

アラブ人と優雅な朝食

人種のるつぼ、という言葉がこれほどしっくりくる国も珍しい。忘年会の景品で無料宿泊券を頂き、先週ドバイのある5つ星ホテルに宿泊することになった。

朝食の席はビジネスマンやヴァケーションに来た家族らであふれ、”としまえん”になるかならないかの瀬戸際を、木のオブジェやすりガラスごしに高い天井から降り注ぐ優しい日光といったディテールがカバーしていた。朝食はその人の日常、生活習慣、生活レベルまで想像できるので、つい他人が何を選択的に皿の上に載せているかを(特にビュッフェ形式の場合)見てしまう。席につくまでに、あくまでヒールで歩きながら横目でさりげなく。

インド人はカレーとバスマティライス、そしてラム肉を1皿目からこれでもかと山盛りに載せる。私の推察ではインド人であれば金持ち如何にかかわらずこの傾向がみられるので、カレーに反応する遺伝子が染みついているのではないかと思ってしまう。だいたい大家族単位で席に着き、かあちゃん、といった感じの奥様が暴れたりする子供をいなしたりしている。

欧米人(おそらく駐在中の銀行員、弁護士あたりだろう)はグルテンフリー、オーガニック系の食材を中心にバランスよくとっている。そして新聞や携帯を片手に朝から最新情報のチェックに余念がない。あるいは、美女の奥様を横に、そして優秀な頭脳と容姿端麗の遺伝子の恩恵を受けまくった天使のような息子/娘に対しスマートにジョークをとばしている。

私たち日本人はつい、オイスターやロブスター、寿司を選び、原価で元をとろうという作戦に走ってしまう。一度、うちの駐在員とナショナルスタッフ(主にインド人)でボスのおごりでブランチ会を開催したことがあったが、インド人がカレーやパン、麺類ばかり食べようとするので、ボスが「原価を考えろ!炭水化物禁止!」と半分冗談で怒っていたことを思い出して苦笑する。彼らにとってはただお腹いっぱい炭水化物を詰め込むのが幸せなのだろうに、私たち中流階級はつい資本主義の物差しでしか物事を見れなくなっているのがおもしろい。

例外として大皿に大量のコーンだけが載っている席があり目を疑ったが、韓国人のバトミントンプロ選手だったようだ。職業までも朝食の皿には現れる。

話が少し脱線したが、私が中東で大好きな光景の一つがアラブ人の朝食の様子だ。様々な人種がバタバタとしている朝の喧騒の中、白いカンドゥーラを身に着けたアラブ人男性がひとり、何もせずに外の景色を眺めている。テーブルにはカプチーノとカットフルーツのみ。その優雅な光景に神がかったものを感じる。

ひとりで席に座り、何もせずにいられる、ということを自然に行うことは実はとても難しい。例えばラーメン屋なりに一人で入ったとき、注文した後はついポケットから携帯を取り出しツイッターやSNSをそれとなしに見てしまう。公共の場でぼんやりする、という行為に居心地の悪さを感じるのは、常に「見られている」感覚、それは日本の人口密度の高さや性質上(1億人総監視社会)のものかもしれない。

アラブ人の優雅さは、例えばスティーブジョブズが着るユニクロの無地のタートルネックのような、モデルが着るシンプルな下着にシルクのワンピースのような、才能や生まれや容姿といったものが超越した人だけが持つ余裕さと似ている。ふと横をみると鏡に両手にオイスターを持った自分がうつり、苦笑いしてしまった。

 ※人種別の推察はあくまで個人の推察です。

 

 

パニック障害のあなた

ドバイは鬱病が多いらしい。診察室には真面目そうな欧米系サラリーマンたちが待機しており、私は鬱病になった友人を見送った。中東の猛暑が和らぎ、ペルシャ湾から流れてくる海風が心地よい良く晴れた秋の日だった。彼は私が知る限り強靭な性質で(ノルウェイの森の永沢さんを実写化するなら彼だと勝手に思っていた)、だから彼が鬱の発作に陥ったことは意外だった。

診察は問答形式で行われ、思考の癖から鬱の原因を探り、その癖を改めていくという治療法であるようだった。

友人「僕は全ての状況はコントロールできると考えている。」

フランス人精神科医「それは鬱になりやすい人の典型的な考え方だよ。君は完璧主義であまりにもすべてを背負いすぎている。特に親しい人の前でスーパーマンであろうとする性質があるようだ。社会で生きていると個の力でコントロールできない事態は山ほどある。時にはgive up & acceptも必要だ。

とにかく手の届く範囲でやればいいんだ。手を伸ばせば世界の全市民になってしまうからね、きりがないんだよ。」

私は野外ライブで聞いたスカイハイという歌を思い出す。

僕は描いていく 空に描いていく

描き進んでいく 描きまくっていく

君に見えるよう 君に届くよう

僕の翼 手と手の長さ

(『スカイハイ』奥田民生)

この歌を聴いたとき私は22歳で、アメリカ留学帰りで隣りに彼氏もいて、こわいものなんてないと信じていた時代だったから、空気を吸いながら青い空を見上げてどこまでもいけるような、自由な気分になったことを覚えている。アコギ一本で、民生のまっすぐな声と言葉が突き刺さってきた。

理想や野望を描きまくって、自分の翼と手と手の長さは経験と共に広がっていって、気づかない内に心の早まりに現実が追い付かなくなったとき、現実ではポキッと折れるのだということに気付く。

一方で外部環境の不確実性に疲れ果ててgive up & acceptしすぎた柳のような人も会社にはたくさんいる。下へ逃げても、そこにはまた別のレベルのしがらみが根を生やしているのだから、それはそれで苦しい気がする。

定時に退社してみたら世界が変わった話

 思いきって17時に退社してみた。まだ日が出ている頃、海沿いの人工的な街を散歩した。となりにいつも一緒にいてくれる友人がいた。チーズフォンデュとチョコフォンデュを同時にやって一緒に胸やけした。まだ19時だね、としみじみよろこんだ。

2時間の残業って大したことないと思っていたけど大きいね。

2時間あれば映画1本見れるからな。

2時間あれば世界救えるからね。

2時間あればかわいい子といい感じになれるな。こうやって。

冗談を言えるくらいだから一安心だ。住んでいるところの近くのインド人街を長い時間をかけて散歩した。 いつも助けてくれたのに、2週間前突然友人がパニック発作に陥った時、どうすることもできず途方にくれて一人、インド人にまみれて歩いていた。ディワリというインド人のお祭りの喧騒の中。爆竹が飛び交う中。辛そうな最後の姿を思い出しながら歩いた。

大きな体でオレンジを食べながら泣いた姿や、スーパーマンになろうとしすぎたのかも、と力なく笑った姿なんかを。

一緒に歩いているだけでよかったのに、と今日答え合わせができた。やっぱりひとりで歩くより、知らない街を探索するのはあなたとが良い。

ドバイのプールバーの入口の描写

10月に入りようやく日中でも外を歩ける程度の気候に落ち着いてきたので、ここ最近の週末は専らプールバーに足を運ぶ。

プールバーは、所謂バブリーでセレブリティーなマリーナやジュメイラと呼ばれる南エリアに存在する。

一方で私の仕事場 兼 住居があるクリークに近い北エリアはオールド・ドバイと呼ばれ、ドバイの人口の7割を占めるインド・パキスタン人労働者が多く住むエリアとして、南エリアとは全く様相の異なるディープな雰囲気だ。インド人に囲まれてTシャツ一枚で残業飯を食べていると、本当にドバイにいるのか疑わしくなる。

そんなわけでお洒落を気取りたいときはワンピースに着替えて南エリアに向かっていたが、最近庶民的な北エリアにも「Nikki Beach」というプールバーがオープンした。Time OutのBeach特集版に小さな広告が出ていて、気になってオープン早々足を運んだ。海沿いの牧歌的なジュメイラロードを10分程南上して、何の看板も出ていないところを右に曲がると、景色は一変して砂漠然とした、建設中の鉄格子やクレーンが散見される殺風景が広がる。ドバイの人工島といえば南エリアにあるヤシの木型人工島 「パーム」・ジュメイラが真っ先に挙がるが、Nikki Beach のある「パール」・ジュメイラも同様にドバイの人工島で、不動産事業が計画中なのだ。

バックミラー越しに見えるパキスタン人タクシードライバーの眉間の皺に「こんな所に本当にビーチがあるのか」という不信感が現れだす頃に小さく Nikki Beach⇒ という看板がで始め、3回位緩やかなカーブを繰り返すと突如、一生働いても購入できないであろうポルシェ、フェラーリ、ランボルギーニ、マセラティといった超高級外車が並ぶ入口にたどり着く。(一度マセラティにタクシー代わりとして乗ってみたけれど、あれは運転を楽しむための車だ。揺れが激しく座り続けているとお尻が痛くなってくる。)

音楽の力は偉大だ。透明なドアを開けると、きらめいた音楽が飛び込み、Nikki Beach のイメージカラー、ターコイズブルーのぴったりとしたTシャツと短パンが似合う受付の美女が迎え入れてくれる非現実の世界に入り込む。横に長く広がるプールの青が広がり、インド人スタッフが常に磨き上げている真っ白なタイルが中東のギラついた太陽の光を反射している。プールを二分割するように真ん中に橋がかかり、橋の向かい側でDJがセンスの良いリズムがこちら側にBOSEのスピーカーフォンを伝って飛び込んでくる。

なんという大人の隠れ家だろう。ビーチと呼ばれる場所はドバイの土地柄無限に存在するが、レジデンス併設のビーチだと家族連れが多く、子供でごった返し、すぐに「としまえん」化してしまう。そんな中、大人の遊び場としての機能を果たす「良い意味でのチャラさ」を維持しているプール・ビーチは大変貴重な存在なのだ。